優しさとは何か?|その本質を考える。

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私たちは日常で「あの人は優しいよね」などという言葉をよく口にします。

しかし、その「優しさ」とは一体何を指しているのでしょうか。

たんに、自分にとって都合の良いことを意味するのか、それとも、全体を見渡した上での総合的な判断力という意味でいっているのだろうか。

本記事では、その答えを「優しいの意味とは何か?」「どう使うべきか?」という2つ観点から解説していきます。

※当記事は、あくまで意味や使い方を考える内容であり、これまでもっていた信念や概念、考え方を否定するものではありません。

 

Contents

「優しい」とは?

優しいとは、

ある特定の人やモノへ対する都合の良さ

特定のモノへの都合が良ければ優しい

特定のモノへの都合が悪ければ優しくない

つまり優しさとは、相手主体であり、

受け手に依存するということ。

 

優しいの本来の意味

あらゆるネット記事では、優しいの意味について「思いやり」「相手の気持ちを考えた行動」などのように説明しており、「具体的な行動の部分ばかり話をしてるな」と感じます。

しかし、本当にその様な行動のことを「優しい」と言えるのだろうか。

私は、違うと思います。なぜなら、本来の意味での優しさとは「ある特定の人やモノへ対する都合の良さ」だと考えているからです。

例えば、以下のように「ある特定の何か」においては優しいことであっても、別の人・角度から見れば都合が悪くなる状況で使われる言葉が「優しさ」だと感じるからです。

例:ホームレスへのボランティア

 

ボランティアで「ホームレスを支援する少女」がいたとして、

そのお礼を「頂いた支援からホームレスが行なった」としましょう。

そこへ「第三者」からの意見として、

『せっかく支援してもらったのに、頂いた「お金・物」をお礼に使っては元も子もない。支援は無駄に終わった。』

そう述べられたら、どう思いますか?

その意見は「優しくない」

と感じる人もいるかもしれません。

しかし、少女側に立ってみるとどうでしょうか?

支援によって「自立や復帰の手助けができればな、、、」と考えていたら。

支援した「お金・物」は、自立の第一歩、あるいは軍資金の一部として利用してもらえれば、、、と考えていたとしたなら。

このようにして見ると「第三者目線」と「ホームレスへ対する目線」、どちらが優しいと言えるのだろうか。

これは、どちらも優しいということに変わりはありませんが、見る視点によって優しいかそうでないかに別れます。

受けた恩に対して、私利私欲のために使うのではなく、全力でお礼をした光景は優しい世界だったとみれる反面、自分の欲や罪悪感に溺れて少女の意思をふみにじったともみれます。

このように「優しい」とは、ある特定のモノへ対する都合の良し悪しに過ぎなわけで、見る角度によって両極端に別れることもあるのです。

 

1. 優しさは相手基準で成り立つ

つまり「優しさ」とは、常に受け取る側に依存する主体的なものです。

ある人にとっては「自分に都合良く共感してくれること」が優しさに映る一方で、別の人、角度から見れば「厳しく叱ってくれること」が優しさだと感じることもあります。

なぜなら、厳しさは真実であり成長すべき箇所の指摘である場合がほとんどだからです。

例えば、宿題を忘れても怒らず許してくれる先生は、生徒にとっては「優しい先生」に感じるかもしれません。

しかし、保護者から見れば「甘やかし、子供の成長を妨げている。その子の将来にとって優しくない」と受け取られることもあるでしょう。

当人が気づいているか否か、求めているか否かは関係なく、この保護者視点は当人にとっての優しさとして当てはまります。

このように、優しさは主体的であり、立場や状況・時間軸によって見え方が変化しても、常に関係性の中で成立し、受け取る側に依存するということです。

 

2. 都合の良さと相手のため

優しさは「都合の良さ」と「相手のためになること」の両方を含んでいます。

短期的に心地よいこと(都合の良さ)と、長期的に成長や幸福につながること(相手のため)の2つが、時と場合によってバランスを取りながら作用します。

  • 短期的な優しさ:今すぐ楽になる、安心できる
  • 中期的な優しさ:問いを立て、自ら間違いに気付ける
  • 長期的な優しさ:その時は厳しくても、未来につながる

そのとき「都合が良い」だけの優しさは、一時的には喜ばれても、相手の自立や成長を妨げることがあります。

逆に「相手のため」を優先するあまり厳しさだけを示すと、相手の気持ちや信頼関係が壊れてしまうこともあります。

ここで重要なのは「両者は対立するものではなく、状況に応じて配合比が変わる要素」であるという点です。

 

3. 優しさの変化と関係性

人間関係においては、最初は表面的な優しさ(安心を与えること)から始まり、次第に本質的な優しさ(相手の成長を支えること)へ移っていくことが大切です。

この過程で信頼関係が深まり、より強い絆が生まれます。

例えば、落ち込んでいる友人に対しては、まずは「寄り添う優しさ」で心を支えることが大切です。

しかし、その後で「どうすれば同じ状況を繰り返さないか」を一緒に考えることは、長期的には相手にとって大きな支えとなります。

表面的な優しさだけでは一時的な慰めに留まりますが、本質的な優しさを加えることで、関係はより深まり持続的な価値を持つのです。

 

4. 肯定と共感は別物

「肯定」と「共感」は似てるけど、まったくの別物です。

共感は「気持ちを理解し寄り添うこと」であるのに対して、肯定は「意見をそのまま認めること」にあたります。

例えば、辛いことがあった人に対して「しんどいよね」は共感です。しかし「確かに、辛いことだからそれやめたほうがいいよね」は肯定になります。

つまり、共感はあくまで「気持ちに寄り添うこと」や「一緒に感じ、理解すること」であり、肯定は「気持ちや言動をそのまま支持すること」に当てはまるのです。

ゆえに、間違った優しさを持つ人は、共感を肯定と履き違え、互いによくない方向へ行ってしまうことがあります。

しかし、本当に優しいというのは、気持ちには寄り添っても間違いには否定します。

このように、優しさとは「悪との区別」が難しく、多くの人が誤解しがちなものなのです。

 

5. 優しさの本質を理解する視点

優しさを考える際には、次の3つの軸で捉えるとわかりやすくなります。

  • 時間軸:短期:心地よさ/中期:気付き/長期:利益
  • 主語軸:相手/自分/関係性
  • 方法軸:温かさ(受容・ケア)/厳しさ(境界・要求)

この3つの軸を意識すると「優しさの形」の本質を理解することができます。

例えば、子どもの勉強では「安心させる → 一緒にやり方を整理する → 自分でやらせる」という段階を踏むと、短期と長期の両面で効果的な優しさを示すことができます。

つまり、本質的な優しさは厳しい部分にありますが、厳しさは信頼関係のうえに成り立つものです。

そのため、共感や寄り添いといった瞬時に得られる表面的な優しさも不可欠となります。

ゆえに、人は何を言うか?ではなく、誰が言うか。

信頼があって、本質的な優しさが成立するのです。

 

 

 

「優しさ」は”手段ではなく目的”として使うものである。

優しさとは、自らがしたいと感じたからする行為だと私は考えます。

これは「自分はこう生きたい」という信念や決意を形作ったものです。

だからこそ、優しさは見返りを求めてしまった瞬間、意味を成さないと思います。

優しさを手段として、誰かに何かを求めた瞬間、それはあなたが欲するもののためになってしまう、つまりそれはあなた自身のための優しさなのです。

ゆえに、優しさそのものを行うことを目的とし、そういう生き方に、信念やあり方に満足した状態が、本当の優しさを生むと私は思います。

これは、決して自分を犠牲にする行為ではありません。

あなたの優しさを「これは優しさである」と認識できない者、敬意や感謝が持てず、優しさを弱さと勘違いする者は、むしろあなたを攻撃してしまうことや、雑に扱い、軽視してしまうことがあります。

だからこそ、優しさを与える人は選ぶことも大切なのです。

優しさとは、実はそう簡単に与えられるものではありません。

そこには、揺るがない覚悟と、自らの存在をおき、誰かのために生きる強さがあるからです。

だからこそ、優しさをもつ者は、目立たなくとも、その不在がすぐにわかります。

失ってから気づくのでは遅い。

あなたを軽視し、雑に扱った者は、必ず後悔することになる。

これは、逆にあなたがそうならないように、あなたがそんな優しさを与えられる人になれるように、心に留めておいてほしいことです。

 

 

 

まとめ

普段、何気なく使う「優しい」という言葉でも、意外と深く突き刺さる内容だったのではないでしょうか。

今回のように「そもそも論」というものを考えてみると、意外に奥が深かったりします。

また、こうした発見や奥深さが哲学の魅力だとも言えるでしょう。

これからもその好奇心を忘れず、思考し学ぶことの楽しさや、大切さを大事にしていきましょう。

のり

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。

本記事が、読者さんのお役に立てると幸いです。

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